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孝文王 (秦)[こうぶんおう]
孝文王(こうぶんおう)は中国戦国時代の秦の王。即位前の称号は安国君(あんこくくん)。姓は嬴(えい)、諱は柱(ちゅう)。子に荘襄王。 ==略歴== 紀元前265年、昭襄王の太子が死亡し、後継の太子として安国君が選ばれた。 安国君には20人以上の子がおり、その中にも後の太子となる子楚もいた。子楚は母の夏姫が安国君から気にいられなくなり、趙の人質として捨て駒のごとく出されていた。それを見かけた大商人の呂不韋が子楚に投資をして趙での名声を上げ、安国君に気にいられていたが子供のいなかった華陽夫人に対して呂不韋が養子として名声がある子楚をもらい受けるように助言をし、それを華陽夫人が安国君に伝え安国君は太子として子楚を指名した。 紀元前251年秋、父の昭襄王が死去し、安国君が孝文王となり、華陽夫人が華陽后、子楚が太子となった。紀元前250年10月、父の喪が明けて正式に即位したが、3日後に死去した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「孝文王 (秦)」の詳細全文を読む
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